物事のわかりやすいを優先した先にあるもの

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ヨガ

ヨガの生徒さんからとある質問を頂きました。

質問内容の詳細は控えさせていただきますが、理解することが大変難しく、深いヨガ哲学に関してのものでした。

その生徒さんは、それに関して触れられた本を別の目的で読んでいたところ、偶然それらしきものに触れられた箇所に出会ったようでした。

その部分を撮影してLINEで送ってくれたのですが、それはわかりやすいという名の、全くカタチが変わってしまったものでした。

こういうことって、大小あれど多々あることだと思うのです。

そこでちょっと考えてみたいと思います。

わかりやすいを優先して、全くカタチの変わってしまった偽物に価値はあるのか?意味はあるのか?

それは、インスタントを追求してしまっている自分に気がついた時、常に自問自答したいです。

私も含めインスタントに飼い慣らされてきた現代人全員の課題ではないでしょうか?

もう一つ必要なことは、本物とは何なのか?を知る環境を得ることです。

それは師匠なのか先生なのか先輩なのか友人なのか…誰か導いてくれる存在が必要だと思います。

そういう状況に今世出会えたらとても幸運なことなのだと思います。

多くの方がそのような存在に出会えますよう…

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